アバターとは
メタバースに欠かせないもの、それがアバターです。
アバター(avatar)とは、2D/3Dのビジュアルチャットやワールドワイドウェブ上の、比較的大規模なインターネットコミュニティで用いられる、「自分の分身となるキャラクター」、または、そのサービスの名称である。
Wikipediaでは上記のように説明されています。
Webでは自分の意思を反映するものといえば、マウスカーソル(ポインタ)ですね。ゲームでいう、自身が操作するキャラクターと非常に近い感覚だと思います。
ちなみに私のアバターは、セカンドライフだと
こちらです。リアルの自分には全く似ていませんが・・・(笑)
人によってアバターは様々です。大抵の方が美男美女になる傾向はあるようですが、顔だけライオンだったり、完全にイヌだったり、巨大なドラゴンであったり、幼い子供であったり、妖精だったり、角が生えていたり、ロボットだったり・・・と収拾がつかなくてなってきました。また、リアル男性が女性アバター、リアル女性が男性アバターであることも珍しくありません。
NRIの山﨑様が著書の中や講演で話されていましたが、ペルソナという「会社ならこの顔」「友達とはこの顔」「恋人とはこの顔」といったコミュニティ毎の自分の外的側面の使い分けが、メタバースにおいてもあるということでした。
ゲームや小説の登場人物に感情移入することがありますが、アバターの場合では自分自身の映し身であり、リアル世界と密接に関わっています。「アバターを着飾ったりする感覚がわからない」とアバターを使われたことのない方から聞いたことがあります。しばらくメタバースにおいて色んな場所へ行き人と関わっていると、私が最初に感じた感覚は「はずかしい」でした。
人が多く集まっている場所で、ほとんどの人が「綺麗」「かっこいい」というより、それぞれこだわりの格好をしていました。やはり美男美女は多いのですが、服装もラフなものから美麗なものまで。帽子をかぶったり、メガネをかけたり、モデル体系になれる世界であえて太っている人や、ぬいぐるみのようなかわいいアバターの人もいました。各々のアイデンティティが満ちている場に、ほとんど初期から何もいじっていない自分が場違いな気がし、居づらかったものです。
今思えば、これこそが空間の共有でした。誰かと空間を共にしている実感がなければ、はずかしいなど感じるはずもないのです。その後、友人と一緒に音楽を聞きながら会話を楽しんだり、物づくりを何人かで試行錯誤しながら進めたりなども体験し、これはアバターという存在を介すからこそ感じられるものだと実感しました。
そして、自分の身に着けているものを友人に見て欲しかったり、「この場はこの服だろう」と思い着替えて出向いたりするのです。自分のアバターもまた、自分の存在する空間を演出する要素のひとつなのです。
こういった点から、アバターはメタバースに欠かせない要素のひとつだと思います。